20歳の誕生日と共に訪れた病との闘い
はじめましてシュガーです。私の過去を共有したいと思います。
20歳の誕生日のちょうど1ヶ月前、私は思いもよらない病気を告げられました。最初はお尻の部分に違和感を感じ、痔かもしれないと思い専門の病院を受診しました。しかし、原因は分からず、市立病院で組織を取って検査したところ「悪性肉腫」が見つかりました。その病院では治療ができないと言われ、大学病院を紹介されることに。そして、そこで「胞巣状軟部肉腫」と診断されました。
手術と子どもを持つ夢
肉腫は骨盤内の臓器に接してできていたため、治療には骨盤内全摘出手術と膀胱・直腸摘出によりオストメイトになることを説明されました。幼い頃から『母』というものに憧れがあった私はどうしても子どもを産みたいという強い思いから、子宮だけは残したいとお願いしました。しかし再発のリスクが高いことから、それは叶いませんでした。22時間に及ぶ大手術が行われ、手術は無事成功しましたがそれと同時に『母』になるという夢と健常者の資格を失いました。手術日はちょうど誕生日の1ヶ月後でした。
退院後、改めて「子どもを産めない」という現実を実感し、深い悲しみと向き合うことになりました。病気を告げられたときは「まさか自分が」という思いでいっぱいで、健康そのものだった自分には信じられない出来事でした。
※オストメイトとは、病気や事故などで、腹部に人工的に排泄口(ストーマ、人工肛門・人工膀胱)を造設した人のこと
手術後の日々
3日間はICUで過ごし、その後個室へ移されました。その3日後には歩くリハビリが始まりましたが、手術した部分に響く痛みはとても辛く、医療用麻薬で痛みを和らげていました。生きていることへの感謝と同時に、障がい者になった自分と向き合わなければならない現実に複雑な気持ちでいっぱいでした。
母は手術後、病室に泊まり込んで支えてくれ、父も仕事終わりに毎日片道1時間半かけてお見舞いに来てくれました。家族や友人、たくさんの人に支えられ約2ヶ月後退院することができました。
感謝と生き方の変化
この経験を通して、家族やお見舞いに来てくれた友人への感謝の気持ちは以前よりずっと強くなりました。そして「生きているだけで丸儲け」という明石家さんまさんの言葉の意味を深く感じるようになりました。病気になるまで「当たり前」にできると思っていた子どもを産むことや普通に暮らせること―つ―つが、決して当たり前ではないことに気づかされました。
同じ病と闘う方へ
もし同じ病気で苦しんでいる方がいたら、まずは「生きること」を最優先にしてほしいです。命あってこそ、未来はつながっていきます。辛い現実と向き合わなければならない時もありますが、周りにいる人への感謝を忘れず、どうか強く生きてください。
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